ストレートに表現して伝わるなら、物語はいらない。
ブログ連投。楽しい。
さっきのやつ書きながら思ったことをつらつらと。
文章を書くのが好き。
これは私の中でほぼ揺るぎない確信です。もはや。
書き始めたらつらつらと無駄に長文を書いてしまう。無駄に。
時速1000字〜1500字くらいなのもそこまで落ちることはないし。
フィクションを書くのが好きなのかに疑問はある。
いろんなジャンルのシナリオの仕事をしてきて、楽しいこともあったし
楽しくなかったこともあった。書けないジャンルもあった。
自分がその「感覚」を体験していないことに関しては書けないらしい。
結構抽象度を上げてもわからない「感覚」ってのがいくつかあって。
「家族愛」がそれに含まれていると知った時の絶望はすごかったけどw
その引き換えに「孤独が癒される瞬間」は普通に書けるわ!万歳w
自分が書きたいお話は?と言われると困る。
「孤独が癒される瞬間」を表現するためのフィクションは思いつく。
書いてて、登場人物に感情移入しやすいから楽しい。
あと、二次創作的に「このキャラを魅力的に表現するには」を考えるのも
得意だから楽しい。観察力のなせる技とも言える。
ただ、それを書きたいかと言われたら「仕事ならやる」レベルなのです。
それがなんでなのかなーと考えてみた。
二次創作<一次創作<コラム(というか研究文)なのかも。
現時点での私の納得いく解はこれだったりする。
研究文っていっても、今やってないから研究文なんてものはないけど。
・読んでもらえる文章じゃないと価値がない
・どんな人でも読めるものでないと価値がない
という私の二大思い込み(というか洗脳)が私の手を止めていただけで
・まぁ誰か1人くらいは読んでくれるだろう
と思ったら、書きたい文章はそっちなわけですよ。
何なら堂々と暗い文章書けるんだったら喜んで研究しますよ。
要は暗い文章が書きたいんじゃん私w
すごく腑に落ちたところで、この記事おーわりー。